「救命」の為の手術
転入の許可はあっさり下りた
B病院からA病院へは救急車で向かい、母が同行した
私と妹は一度自宅へ戻り、A病院へは車で向かうことにした
道中、他府県(と言っても電車で1時間ほどの距離)で一人暮らしをしている弟にも連絡を入れた
父が倒れた旨は簡潔に伝えていたが、緊急度合いがイマイチ伝わっていないような気がしたので「結構ヤバい」ということを念押して伝えた
やはり、「過労で倒れて一時的に意識無いくらいだと思ってた」ようで、仕事を切り上げてこちらへ向かうとのこと
あの子は昔からどこか抜けている
13時頃、A病院に到着
検査が行われ、B病院と同じ内容の宣告を受けた
心のどこかで「もしかしたら違う診断がおりるかも知れない」という淡い期待は打ち砕かれた
2回目の宣告でも、やはり涙は流れた
マジか、父はそんなにヤバい状況なのか
A病院に着いてからは展開がとても早く、約1時間後の14時過ぎから、隋液と血液を取り除く手術が行われた
9時過ぎに到着したB病院では「昼過ぎ、もしくは今日中に手術を行う可能性が有る」と呑気に告げられたことに対して今でも疑問が残るし、あのままB病院に居たら…と考えると心底ゾッとする
病院は絶対に選ぶべきだ
手術前、主治医に「これはあくまでも救命の為の手術であって、容態が良くなる・治るとかそういうものではない。術後、意識が戻るかどうかも、やってみないと分からない。」と念を押された
可動式ベッドの横に付き、「お父さん、頑張って!」と声を掛けながら手術室まで見送る、あのお馴染みのやつも漏れなくやった
心の中で「うわ、これめっちゃドラマのやつやん…」と思っていたが、不謹慎かと思い、その場では口にできなかったが、後日、妹も同じことを思っていたと白状してきた
姉妹揃って不謹慎極まりない
大切な人が同じ状況になると、大体の人があれをやるんだと実感した
そうこうしているうちに弟も病院に到着
手術時間は2~3時間だと言われていたが、実際は3時間半ほど掛かった
家族ぐるみで付き合いのある隣家のパパと長男(当時小5)が、サッカーの試合終わりに病院に駆けつけてくれた
「遠い親戚より近くの他人」とはよく言ったもので、彼らの顔を見て心底ホッとしたし、心強かった
ちょうど手術が終わったタイミングだったので、麻酔で寝かされ、頭を包帯でグルグル巻きにされた、文字通り変わり果てた父の姿を目の当たりにしたのに、隣家の長男は泣くことなく、とても心配そうに声を掛けてくれた
後から隣家のパパに聞いたが、病院を出た後に「どうすんの…」と、隣家のオッサンとその家族を心配し、泣いてくれていたようだ
本当に彼は心優しく、聡明な少年である
父はSCUと呼ばれる、脳専門の集中治療室に入れられた
麻酔が切れ、鎮痛剤を切った後に意識が戻るかどうかが第一関門で、1週間以内に戻らなければ、所謂「植物状態」になる可能性が高いとの説明を受けた
SCUには面会時間が1日1時間×3回で時間が定められている為、その日は不安を抱えたまま自宅へ戻った
夜中に隣家のママと次男(小1)が来てくれ、治療方法やリハビリ施設を探すと言ってくれた
隣家の家族には、本当に頭が上がらない
父、倒れる②
自宅前で数分、搬入できる病院を探し、車で5分程のB病院へ向かうこととなった
「B病院はあまり評判が良くない、どうしよう」
韓国語で母が言った
私たちは在日コリアンなので、家族全員ハングルが話せる
都合の悪いことはハングルで話すことが日常茶飯事だ
「でも、素人がどうこう言うても仕方ないし、応急処置をとりあえず急いだ方がいいんちゃうかな…」
何が正解かは分からなかった
B病院へ搬入され、看護師に「ここで待っていてください」と、一般受付の待合場所を指定されたが、父の様子が気になり、カーテンで区切られた応急処置用の部屋ギリギリまで近づき、耳を澄ませた
「出血してるのに、朝からこんなん無理やわ!」
当直医の苛立ったような声が聞こえた
その日は土曜の朝9時頃
専門医は休みだったのだ
すぐに母に報告した
「医者がこんなんできひんって言うてる、ほんまにこの病院で大丈夫なんかな…」
不安と怒りが募る
「こんなん」ってなんやねん
そんなに父の容態はヤバイのか?
様々な悪い想像が駆け巡る
そうこうしているうちに、休みだったであろう脳外科医がやってきた
血圧を安定させる為の点滴処置が行われ、その間も数回嘔吐していた
CTの結果、左脳が出血していること
出血量がかなり多いこと
意識が戻ったとしても、右半身麻痺・歩行困難で車椅子は避けられないであろうこと
言語障害・記憶障害が残る可能性が高いこと
昼過ぎから精密検査をし、場合によっては今日・明日中に手術する必要があるとも言われた
去年12月に結婚した妹夫婦が近くに住んでいる為、もしものことがあってからでは遅いと思い、少し躊躇いはあったが電話することにした
妹が寝ぼけた声で電話に出た
「びっくりしんといてな、お父さんがな、倒れてん」
この時、初めて涙が溢れた
医師の話を聞いた時はどこか現実味がなかったが、自分の口から第三者に伝えることで「これは夢じゃない」と突きつけられたようだった
電話を切った後、母が「泣かんでいいねん」と言った
母は泣かなかった
「ごめんな、お母さんがもっとちゃんとお父さんを見てあげてたら…」と続けた
泣いてる場合じゃない
私は、涙をグッと堪えた
程なくして、妹夫婦がやって来た
妹は私と違い、優しくて気が弱くて泣き虫だ
父の様子を見て子どものように泣いた
この病院に任せて本当に大丈夫なのだろうか?
搬入された当初からあった不安が次第に強くなる
母は、大きな事故で脳を損傷した知り合いがA病院で治療を受けたことや、私たちの住んでいる地域で、脳と言えばA病院が一番だということを知っていた
仲良くしている隣人が医療関係の会社に勤めていたので、アドバイスを仰いだ
隣人は「B病院の外科医も腕は悪くはないが、B病院で手の施しようがない場合、最終的にA病院に搬入する、絶対A病院に転入させて貰うべき」ということを教えてくれた
B病院に対して失礼でないか、そもそも、こちらが病院を指定したりして良いのか?など、色々話し合ったが、「父の命より優先すべきことなどない」ということになり、A病院へ転入させて欲しいと告げた
この判断が、父と私たち家族の、大きな運命の別れ道だった
父、倒れる①
約1年前の2018年3月31日
その日は祖母(父の実母)の四十九日の朝だった
私が二階の洗面所で支度をしていると、父が歯磨きをしにやってきた
歯磨き粉のチューブを掴もうとする父
しかし、距離感が掴めないのか、父の右手はチューブの前後左右、何度も空を切った
その時の私は「父には珍しいが、まだ寝ぼけているのか?」くらいしか思っていなかった
コンタクトの容器に父の手がぶつかり、洗面台に落下
「だ、だ、だ、だいじょうぶか?」
と、父が言ったような気がするが、思い返せばかなりたどたどしかった
若干の違和感を覚えながらも、寝起きだったこともあり、また、両親とは長年不仲だったこともあり、私は軽く首を縦に振っただけだった
この時、私がもっと気にかけて父と会話をしていれば、もっと早く異変に気付いてあげられていたのだろう
今でも後悔することがある
そのまま父はリビングへ向かい、食卓の椅子に座りながら歯磨きをしていた
いつもなら朝ご飯を必ず食べる父が、その日はそのまま一階の寝室へと戻って行った
母は出る直前まで家事をやる癖があり、身支度もままならないのに洗濯物を干している
このままではせっかちで時間にうるさい父の機嫌がまた悪くなってしまう
それにしても、もうすぐ出発時刻なのに、いつもの様に父は急かしにリビングに上がってこないな?と思い始めた矢先
一階の寝室から獣の呻き声の様な、異様な音?声?が聞こえた
そういえば、三階で私が着替えている時から微かに聞こえていた音だ
まさかうちから聞こえているのか?
一階へと続く階段の踊り場で耳を澄ませてみる
確実に下から聞こえてくる
獣のような、地鳴りのような、一度聞いたら耳から離れない不気味な音
母と2人で凍り付く
「これ、お父さんか?」と母
寝言?イビキか?
一階へ向かって声を掛けるが返答が無い
私は、本能的にとてつもない恐怖を感じた
「お母さん、行ってや」
三十路過ぎた娘が、ビビって還暦間近の母を先に突き出す
2人して恐る恐る一階の寝室を開けた
父が、倒れている
嘔吐して、スーツに着替える途中だったのか、上は肌着、下のズボンのチャックは開いたままだ
「あんた、バスタオル持ってきて!」
母が叫んだ
私はすぐに二階へ駆け上がり、バスタオルを掴みながら
「え?これって救急車呼ぶやつ?」とフリーズした後、一階の母へ向かって「救急車呼ぶで!?」と叫んだ
人生で初めて119にコールした
焦って110と間違える人が多い、そんなことが頭をよぎり、意外とすんなり電話することが出来た
「父が嘔吐して倒れています、心臓は動いています」
冷静さを保とうと思っていたが、自分でも声が震えているのが分かった
救急車が来るまで、母と2人で父の身体をさすった
母は「心臓は動いてるから多分脳や、動かしたらあかん」と言い、吐瀉物で喉が詰まらないよう取り除いてからは、父をなるべく動かさないよう、父を呼び続けながら身体を温めた
幸い、家は街中にあるので、5分以内で救急車は到着したように思う
救急隊員に「多分脳です」と告げる母
誰に指図しとんねん
父の様子を簡易的に調べる救急隊員
まだ辛うじて声にならない声を発している父
隊員が父の右手を持ち上げてから離すと、ダランと力無く床に落ちた
「これって意識有るんですか?」と隊員に思わず聞いてしまった
「あると言えばあるし、無いと言えば無いです…」と、どう捉えて良いのか分からない返答
喪服だったのでヒールを玄関先に出していたが、長期戦を覚悟した私は、足が疲れない、且つ、黒の喪服と合わせても違和感の少ないであろう黒のコンバースをわざわざ下駄箱から取り出して救急車に乗り込んだ
人はこういう時、意外と冷静な判断が出来るのかも知れない
少しだけ「初めて救急車乗った…」という気持ちを抱えながら、病院へと向かった